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7月8日 大忙しで大満足の種子島

朝7時過ぎに「ゆうゆう丸」と一緒に屋久島から種子島に向かって出港。南西の風15ノット前後で快適でな追手の帆走。ニライとしては早いなぁと思う6ノット超のスピードで走っているのにヤマハ30「ゆうゆう丸」において行かれる。うーむ。絶対エンジンもかけているんだ、そうじゃなきゃ困る、とブツブツブツ…。(やっぱりエンジンも併用していたそうです)
昨日引っ張り出してスライダーを取り付けて取り替えた古い古いメインセールはなかなかちゃんとしています。リーチが伸びきってはいるもののさすがノースセール。
種子島から屋久島に向かう途中の客船「にっぽん丸」とすれ違う。乗客は朝食の最中らしく誰も手を振ってくれない…。
12時半ごろ種子島の岸壁に到着。30.44N 130.59E。月に2度ほどタンカーが着岸する岸壁でそれ以外の日には横付け可能とのこと。

種子島と言えばロケット打ち上げセンターです。どうしても見学に行かなくてはなりません(きっぱり)。でも明日は月曜日で休館日です。しょうがないので、着いたそうそうレンタカーを借りて一路島の南端まで。
で、たどり着いた宇宙センターはものすごくきれいな場所でびっくり。芝生が広々と緑で海が青く輝き、世界一美しいロケット打ち上げセンターというのは本当だと思いました。展示場では浅生さんはエンジンや機体の説明を読みふけり、私は「かぐや」の撮った月面のハイビジョン映像にクギ付け。ガイド付きの見学ツアーの最終回にもちゃんと間に合いました。ただし、打ち上げが近いので大型ロケット発射場には入れませんでしたが。ガイドさんが説明してくれてHⅡA-7号機(打ち上げられなかったので現存している)をじっくり見られて判りやすくて感激。指令室にも行ってきました。あー、おもしろかった。ちなみにロケット打ち上げセンターの写真を見たときロケット発射台だと思っていた赤と白の鉄塔は、ロケットを雷から守るための避雷針だとわかってびっくり。
そのあと、河内温泉センターでさっぱりし、神秘的な大洞窟・千座の岩や、ちょうど注連縄に夕日が沈む絶好のタイミングで雄龍・雌龍の岩をみて種子島を満喫。
大忙しで大満足の種子島の一日でした。

7月7日 屋久島にいます

7月1日に奄美大島瀬戸内町のシーカヤックマラソン第20回大会をスリ浜のブイで応援し、古仁屋の海の駅に戻り、後夜祭の元ちとせのコンサートを聴いて(奄美で「夏の宴」を生で聞けるとは感動的)、7月2日、メインセールの補修をして、7月3日出港。ワンオーバーナイトで屋久島に向かう。
南南西から南の風15ノット前後で快適な追手と思いきや、潮がずっと逆潮。黒潮に乗って北上するイメージを抱いていましたが大間違い。黒潮はトカラ列島の西を流れているそうです。ずっと反流にさからっての苦労旅。まあ、そんな事も有るでしょう。
大潮の干潮時に入港すると岸壁が高すぎて舫えない可能性もあるので、のんびり走って沖で潮待ち。なんとなく岸を眺めていたら一湊の沖でアンカリングしている赤いヨットを発見。あら、「DAGON」だ。縁があるなあと寄って行ってトムとフランに挨拶。午後九州に向かって出港予定だけどやはり干潮時では港から出られないのでここで潮待ちとのこと。じゃあ、今度こそ本当にさようならだねと宮之浦に向かう。
宮之浦港の岸壁にはヨットが2隻ならんでいたので、その隣の岸壁にニライも横付け。30.26N 130.34E。スクーターに乗って元漁師のカサイさんがやってくる。この港にヨットが入った時には彼がいろいろ面倒を見てくれるというありがたい人です。

屋久島にやってきたというのに、浅生さんは10時間かけて縄文杉を見に行くとも、10時間かけて宮之浦岳に登るとも言いませんでした。レンタカーを借りて白谷雲水峡へ行ってきました。モノノケ姫のイメージになった苔の森と屋久杉を見るのに4時間歩いたら、下りで膝が笑ってしまいました。すっかり軟弱になってしまったなぁと慨嘆。それでも森は太古からの巨木と水が作り出す苔の森が素晴らしく、さすがに世界自然遺産の島だと感じました。緑濃い屋久島の自然がずっと守られてゆくといいなぁ。

で、7日には種子島に向けて出港、と思っていたのですが、前線が下がってきて天気が悪い。宮之浦にて天気待ち中です。

6月29日 加計呂麻島・生間

古仁屋の町で知り合った龍さんが勧めてくれたので、古仁屋対岸、加計呂麻島の生間という漁港にやってきました。フェリー桟橋の奥、地元船の並ぶ小さな港の出入り口近くの岸壁に抱いてます。(28.06N 129.19E)大島海峡を挟んで古仁屋が見えますが、ここから見ると古仁屋はまるで大都会。生間はフェリーはやってくるものの、とっても小さな集落です。
歩いて20分ほどで島の南側諸鈍集落に行くことができます。平家の落人伝説が残り、伝統芸能諸鈍シバヤの残る古い集落で、「寅さん」の最終作をとったロケ地。最後のマドンナリリーさんの住んでいた場所です。ここはやはり名前が似ているので出かけてみないわけにはいきません。デイゴの古木が並ぶ美しい浜は、ひっそりとゆっくりと時間が流れ、眠ったような集落にはおじいとおばあが何人かのんびり暮らしていました。
午後には横に沖縄宜野湾で一緒だった四宮さんの「ゆうゆう丸」を横抱きにしました。
加計呂麻は静かで美しい良い所ですが、出会った人がもっと良かった。
前述の龍さん一家(素晴らしいヨット一家で大感激!)がお昼に案内してくれたペンションホライゾンのテルさんは、これまた古強者の海の男で、みんなして夜にはニライで大宴会。奄美大島の端っこで世界中古今東西の海の話に花が咲く。素晴らしい。
というわけで奄美大島を楽しんでいます。

6月25日 奄美に到着

6月24日 朝7時にお見送りを受けて宜野湾出港。南の風10から15ノットで奄美大島に向けての一晩の航海。真追手なのであまりスピードは出ませんが、梅雨明けの晴天の下快適な帆走。夜になれば満天の星と夜光虫だらけの海。
6月25日相変わらずの南の風15ノットくらい。昼過ぎ大島海峡に東からエントリー。私が20年前からダイビングに通い続けた奄美の海をヨットで走れるなんて夢のようにうれしい。15時半に古仁屋港の瀬戸内海の家の岸壁に着岸。28.09N 129.19E。浮桟橋ではないので、大きな俵型フェンダーと舫いロープの擦れ止めが必要。7年ぶりの日本のクルージングを実感。
奄美のヨット界の中心、葛西さんがすぐに表れていろいろ教えてくれて、7年ぶりの日本だと言ったら、大きなバラの花束をくださる。いとうれし。世界中のクルージングの話題になり、美酒にて交歓。
私がダイビングに通っていたころのインストラクター・ケニーは今は瀬戸内町の観光協会にお勤め。連絡をしたら、家族で遊びに来てくれ、お土産に自家製のパッションフルーツを持ってきてくれる。とってもとっても懐かしい。こちらは美酒なしで交歓。

ところで、20日間ほど宜野湾から東京に飛行機で戻っていました。横浜洋光台の古い団地に住居を構え、引っ越して、住所不定無職からただの無職に格上げ(?)。取って返して、台風4号の台風対策をして、何事もなく無事台風通過して、さよならBBQをしてもらって、楽しかった宜野湾を出港したのでした。沖縄はとても日本とは思えないほど、ヨットで生活している人がたくさんいて、楽しいマリーナライフが送れました。お世話になった皆様、本当に有難うございました。

5月27日 台湾の写真と沖縄観光

台湾の写真をピカサのアルバムに入れました。目次のアドレスはプロフィール欄の一番下にあります。興味とお暇のある人、のぞいてみてください。

shurijyou
この数日何をしていたのかというと、梅雨の晴れ間が続いたので、ちょっと観光してました。那覇観光(首里城・玉陵・国際通り・牧志公設市場)に行ったり、沖縄本島南部観光(久高島・斉場御嶽・玉泉洞・平和の礎)に行ったり。また、知り合いのヨットで久米島レースに参加したり(浅生さん)、博物館や美術館に行って「土門拳展」や「紅型展」を見たり(私)。

ニライの船名は「ニライカナイ」から採ったのですが、にらいかないって何ですかというのがわりと普通の反応。「ニライカナイ」というのは沖縄の言葉で「海のかなたにある理想郷、もしくは神様の国」みたいな意味です。沖縄の神話で神様は東の海の彼方からやって来て久高島に初めて上陸し、その後沖縄本島に渡ってきました。その久高島を望むのが斉場御嶽で沖縄の御嶽の中で最も格式の高い御嶽です。(もっと詳しく知りたい人は案内書がたくさんあるので読んでください。)で、久高島や斉場御嶽の周辺には、ニライ橋とか民宿ニライとか食堂ニライとかがたくさんあります。私たちとしては行ってみないわけにはいきません。
ニライ橋とカナイ橋から眺める海は絶景。
久高島はさすが神の島。静けさと、海の青さと、島の自然の美しさが神々しさを感じさせました。小さな集落は昔の風情を残していて何処か懐かしく、12年ごとの秘祭イザイホーの舞台は、説明されなければ普通の広場として静かな佇まいでした。(すでに祭りが途切れてしまっていると知っているので、何か物悲しく思えましたが。)個人的にはイシキ浜がうれしかった。説明文の「ニライカナイからの来訪神が島に訪れるときに船が停泊するとされる場所」というのがいいじゃありませんか。実際の浜は沖をリーフが覆っていてとても船が入ってこられるような場所ではありませんが…。でも神様の港らしいかな。
ishikihama

斉場御嶽の巨大な三角岩は写真で知っていても、実際にその場に立つと鳥肌が立つような感じで、ここなら神様も降りてくるだろうと思えました。私たちも航海中に読みましたが「テンペスト」が流行ったので、昔はほとんど人のやってこなかったこの場所に、「パワースポットめぐり」として観光バスがやってくるそうです。嬉しいようなでも悲しいような。
seefaautaki

平和の礎はやっぱり胸が痛くなりました。あまりにも石碑がたくさんたくさんありすぎて…。ちょうど修学旅行生たちが礎の前で「サトウキビ畑」を合唱する場面に遭遇しましたが、天国みたいな島で地獄の苦しみがあったことを実感できる修学旅行は、心に残ることでしょう。
heiwanoishiji
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